「またアップデートかよ」「パスワード変えるの面倒だな」――この“ため息”が、企業を危機に晒すセキュリティリスクの始まりである。サイバー攻撃は技術の問題と思われがちだが、その多くは人間の習慣や心理の隙を突いてくる。とくに中小企業では、IT人材不足やコスト制約によって「手間がかかる対策」が後回しにされがちだ。しかし、その“めんどくささ”を放置することが、情報漏洩やランサムウェア感染といった致命的な被害を招くのだ。本稿では、情報セキュリティを「技術の話」から「人の心理・文化の話」として再定義し、経営者が明日から実践できる防衛戦略を提案する。
多くのサイバー攻撃は「人の習慣」から始まる
中小企業におけるサイバーセキュリティは、技術的な脆弱性以上に「人の行動」が狙われやすい。IPAの統計でも情報漏洩の約8割はヒューマンエラーが原因であるとされている。
VPN脆弱性を放置した「いつかやる」が招いた被害
たとえば【VPNの盲点】でも触れた通り、2022年の小島プレス(トヨタのサプライチェーン)や徳島県の病院で発生したサイバー攻撃は、VPN機器のアップデート未実施による脆弱性を突かれたものだった。どれも「アップデートの手間を後回しにした」ことが要因だ。攻撃者は新たな手口を開発して突破したのではなく、既知の脆弱性を利用しているだけである。
技術ではなく「運用の怠慢」が狙われる
UTMやファイアウォールを導入していても、それが更新されず放置されていれば意味がない。【総集編】中小企業向けセキュリティ対策の正解とは?でも述べたように、サイバー攻撃者は“突破できる技術”ではなく“油断している人間”をターゲットにしているのだ。
5か条の未実施がリスクを生む
IPAが提唱するセキュリティ対策5か条――(1)OSとソフトの更新、(2)ウイルス対策、(3)パスワード強化、(4)共有設定の見直し、(5)脅威情報の把握。実際はこの初歩すら徹底されていない企業が多い。実行しない理由は明確で、「めんどくさいから」である。
セキュリティが「めんどくさい」と感じる理由を分解する
なぜ多くの社員がセキュリティ対策に心理的抵抗を示すのか。その理由は以下の3つに集約される。
① 時間が奪われるから
再起動に数分かかるだけで「あとでやろう」と思うのが人間の心理だ。実際、多くの現場で「ネットが止まると営業が止まる」と感じており、再起動すら避けられている。だが、再起動を3分我慢すれば、13日間の業務停止を防げるかもしれない。これは【徹底解説】セキュリティ対策ガイドライン 5か条でも繰り返し警告されているROIの誤解である。経営として必要なのは、「短時間の停止を許容する文化設計」だ。
② 理由が理解できないから
「なんでまたパスワードを変えないといけないのか」という疑問が現場に浸透している限り、対策は定着しない。パスワード文化は1960年代から存在するが、いまだに人の理解が追いついていない。背景と必要性を物語として伝えること――これは経営者にしかできない役割である。
③ 成果が見えないから
セキュリティ対策が成功しても「何も起きない」のが正解だ。この“成果が見えない”構造が、モチベーションの低下を生む。しかし、セキュリティは「信頼を維持するための投資」であり、「売上に貢献する無形資産」であると捉え直す必要がある。
人の心理を理解した“セキュリティ文化”の育て方
「めんどくささ」を排除するのではなく、受け入れつつ“動ける仕組み”を作る。これが中小企業に必要な視点だ。
面倒を減らすには“仕組み化”が不可欠
たとえば再起動は自動で夜間に行うスケジュール設定を導入し、パスワードはツールで定期的に変更・通知されるようにする。これはコストをかけずに実現できる。
IT担当者の役割は「操作」ではなく「設計」
設定や対策を誰か一人が行うのではなく、社員全体が“自然に動ける”ように設計すること。この視点を持たない限り、ITツールは活用されずに放置される。
セキュリティは「部署」ではなく「習慣」である
ブルース・シュナイアーの名言“Security is not a product, but a process.”は、中小企業にとっては「セキュリティは部署ではなく、文化である」と言い換えられる。属人的な対応ではなく、習慣として根付くことが求められている。
まとめ ― 「めんどくさい」の中にこそ本質がある
セキュリティ対策の最大の敵は、複雑な攻撃手法ではなく「人間の心理」である。攻撃者はその心理を熟知しており、企業はそれを軽視した瞬間に破られる。中小企業にとって、完璧を目指すのではなく、「めんどくささ」を組み込んだ運用設計こそが現実的で有効な防衛手段だ。
社員が「なぜやるのか」を理解し、自然と動ける仕組みを整える。その文化を経営者が率先して語り、育てること。そうした取り組みが“攻めの防衛”となり、顧客からの信頼を勝ち取る鍵となる。
セキュリティを“語れる”経営者は、もはや技術者以上に価値がある。IT部門に丸投げする時代は終わった。「面倒だけど、やるべきことなんだ」と笑いながら伝えられる経営者こそ、最強の防衛者である。
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
また、お会いしましょ。










