前編では、月3000枚にも及ぶ紙の納品書処理に苦慮する中小企業が、OCR導入に踏み切るも、現場での精度や運用の問題に直面し、プロジェクトが一度頓挫しかけた経緯を紹介した。後編では、その失敗からどう立て直し、Google Vision OCRという新たな選択肢に辿り着いたのか、そしてそれがいかにして“業務に使える”仕組みとなったのかを、実際の構築プロセスや運用定着まで含めて詳述する。「無料か有料か」ではなく「使えるかどうか」で選ぶべき理由と、中小企業でもできる現実的なIT導入の視点を届けたい。
Google標準OCRで見えた限界と課題
Googleドライブに標準搭載されているOCR機能は、確かに「文字を読み取る」ことは可能だった。しかし、実務での利用という観点に立ったとき、「読める」だけでは業務に組み込むことができないという現実的な壁に直面した。ここでは、導入初期に見えてきた技術的な限界と、現場で浮かび上がった課題を具体的に整理する。
「読める」と「使える」はまったく別物
Googleドライブ上のPDFに対して標準OCRをかけ、Apps Scriptを使ってテキスト情報をGoogleスプレッドシートに自動抽出する仕組みを構築した。この時点で、システムとしては一応「動く」形にはなった。だが、問題はその先にあった。
たとえば、同じ会社・同じフォーマットの納品書を処理しているにもかかわらず、毎回OCR結果に微妙なブレが生じる。テキストの位置が数ピクセルずれたり、改行が予期せぬ場所に入ったりする。OCRは「画像から文字を起こす」ことはできるが、それを“構造的に理解したうえで扱える情報”に変換できるわけではない。この違いが、実務の中では致命的だった。
数字・伝票番号の精度問題
納品書処理で最も重要な情報のひとつが、「伝票番号」や「金額」などの数値情報である。これらの精度が低ければ、請求処理や支払い処理に重大な影響を及ぼす。Google標準OCRでは、ゼロ(0)とオー(O)、イチ(1)とエル(l)、さらにはハイフン(-)と長音記号(ー)など、人間の目には明らかに異なる文字が頻繁に誤認識される。
こうしたミスは、見逃されやすいが実は非常に深刻なトラブルの火種となる。誤認識された伝票番号を元に支払い処理が進めば、照合作業に時間がかかり、最悪の場合は支払い漏れや二重処理といった問題が発生する恐れすらある。手入力より正確さが劣るようでは、そもそもIT化の意味がなくなるのだ。
フォーマット差による読み取り精度の揺れ
中小企業の現場では、納品書のフォーマットが統一されていないケースがほとんどである。取引先ごとに書式が異なり、文字の位置や余白、レイアウトもバラバラだ。Googleの標準OCRは、こうしたフォーマット差に非常に弱く、読み取り結果にばらつきが出やすい。
たとえば、請求番号が左上に配置されているものもあれば、右下に小さく記載されているものもある。標準OCRは「どこにどの情報があるか」を判断できるほどの構造認識機能を持たないため、抽出結果はまちまちになる。業務として使うには、毎回読み取られた内容を目で確認し、手作業で整える必要が出てくる。これでは「手間を減らす」ためのIT化が、逆に「手間を増やす」結果になりかねない。
OCRできていても業務に使えなかった理由
表面的には「文字は読み取れている」。だが、それを業務に落とし込もうとしたとき、結局は手修正が欠かせないという現実に直面した。文字がズレていたり、不要なスペースや改行が入っていたりするたびに、目視確認と修正が必要になる。
つまり、OCRによって省力化されるはずだった作業が、新たなチェック工数を生み出してしまったのだ。この時点で、現場からは「これなら人が手で入力した方が早い」という声も上がり始めた。導入効果が出るどころか、逆効果になる恐れすらあった。
OCRが「動く」ことと、「業務に使える」ことの間には、想像以上に大きな溝がある。そのギャップを認識できていなければ、“使えないIT投資”に陥る危険性は高い。
Vision OCRを使って初めて実用になった理由
Google標準OCRでは越えられなかった精度の壁を乗り越えたのが、Google Cloud Vision OCRだった。ツールとしての性能差が、そのまま業務での活用可否を左右した。ここでは、Vision OCRがなぜ「実務で使えるレベル」に到達したのかを、具体的な観点から整理する。
読み取り精度の圧倒的な違い
Google Cloud Vision OCRは、有料のクラウドサービスとして提供されているOCRエンジンである。標準OCRとの最大の違いは、文字認識の精度と柔軟性にある。
試験的に、Google標準OCRでは正確に読み取れなかった複数の納品書PDFを、Vision OCRで処理してみた。すると、レイアウトの違いや文字サイズ、フォントの違いにかかわらず、極めて正確なテキスト化が実現された。
読み取り結果にブレがほとんどなく、同じ形式の納品書であれば、再現性高く正確にデータ抽出が可能になった。この「安定性のある精度」が、日常業務で安心して使えるという感覚につながった。
数字・レイアウト耐性が大幅に向上
Vision OCRを導入した最大の利点のひとつは、数値情報の誤認識がほぼなくなったことである。特に、伝票番号・金額・日付といった業務上最重要項目が正確に認識されることは、現場の信頼感に直結した。
さらに、Vision OCRは、レイアウトの構造をある程度把握して文字を抽出する機能があり、位置ズレや文字化けといった現象が激減した。取引先ごとにフォーマットが異なっても、OCRの揺れが少なく、処理後に手修正を加える必要が大幅に減った。
これは、単に精度が高いというだけでなく、「ルールを都度変えずに運用できる」実務的な柔軟性を意味する。OCRの揺れに左右されない安定性こそが、現場にとって最も価値がある機能だった。
月3000枚という現実的な運用ライン
OCR精度の高さが確認できたことで、実際の業務フローへの組み込みを進めた。Google Apps Scriptと連携し、PDFファイルを指定フォルダにアップロードするだけで、Vision OCRが処理し、必要なデータをスプレッドシートに抽出・整形するという一連の流れが自動化された。
この仕組みで重要だったのは、毎月3000枚という大量の納品書を処理してもパフォーマンスが安定していたことだ。標準OCRではストレスだった「OCR後の手直し」がなくなり、定時退社を基本とする経理担当者の作業負荷も目に見えて減った。
単なるツール導入ではなく、“業務として回るかどうか”を基準に考えた時、Vision OCRは初めてその条件を満たした存在だった。
有料でも人件費より安いという判断
Vision OCRは無料ではない。だが、その料金体系は従量課金であり、PDF1枚あたり数円という現実的な価格設定である。3000枚処理しても月額で数千円から1万円台に収まる計算となる。
この金額で、人手による入力のストレスや残業がなくなり、さらに業務ミスのリスクまで減らせるのであれば、コスト対効果としては十分すぎるほどだ。
多くの中小企業にとって、「有料」というだけで敬遠しがちだが、“安かろう悪かろう”の無料ツールで業務が止まるリスクの方がはるかに高い。本件では、「精度が業務を支える」という判断のもと、コストを許容する決断が実を結んだ。
OCRツール選定で本当に見るべきポイント
OCR導入において多くの中小企業が陥りがちな誤解がある。「無料なら導入しやすい」「高機能だから安心」といった表面的な要素だけで判断してしまうことだ。本件での試行錯誤を通じて見えてきたのは、ツール選定の本質は“業務に耐える精度があるかどうか”に尽きるというシンプルな結論だった。
無料か有料かではなく「精度」が鍵
多くの中小企業が最初に探す条件は「無料でできるかどうか」だろう。実際、Google標準OCRもそうした「無料で試せる」選択肢の一つだった。しかし、無料で使えても業務に耐えられないなら、それは“コストゼロの失敗”でしかない。
OCRに限って言えば、精度こそが最重要評価軸であり、「無料だから試す」「安いから導入する」という判断基準では、結果的に遠回りになる可能性が高い。ツールの価値は、“業務を支える道具”として使えるかどうかで測るべきであり、価格はあくまで二次的な要素にすぎないのだ。
OCRは目的ではなく前提技術
OCRという技術は、あくまで「情報を読み取る」という工程の自動化にすぎない。それ自体がゴールではなく、“業務プロセスを効率化するための一手段”にすぎない。にもかかわらず、ツール導入がプロジェクトの目的になってしまうケースは少なくない。
本事例でも、最初は「OCRで読み取れるようになった」ということで一定の満足感が得られたが、実際にはその先の運用フェーズに入って初めて課題が噴出した。OCRが業務改善の“目的”になってしまうと、導入後の運用で壁にぶつかりやすくなる。あくまでOCRは“前提”であり、その先にある運用の成否が導入効果を決めるという視点を持つ必要がある。
精度が足りないと業務が成立しない
OCRの精度が8割、9割という水準だったとしても、それでは100枚中10枚、あるいは20枚が読み取りミスになるということであり、これを実務で許容できるケースは少ない。たとえば金額の1桁が違う、伝票番号が1文字ズレる──これだけで支払い処理が間違う、確認作業が倍になる、問い合わせが増えるといった問題が発生する。
人手による作業以上に、精度の高いデータを提供できないOCRであれば、導入効果はゼロに近い。むしろ、「信じて任せられない自動化」は新たなストレス要因になってしまう。今回の導入では、Vision OCRによってこの問題をクリアできたからこそ、「業務が成り立つIT」になり得たのだ。
業務要件から逆算しないと失敗する理由
OCRツールを選ぶとき、「どの機能があるか」「いくらで使えるか」ばかりを比較しがちだ。しかし、本当に見るべきは、自社の業務に必要な要件を満たせるかどうかである。今回の事例では、月間3000枚、複数フォーマット、数値項目の正確抽出、スマホからの確認といった具体的な要件が明確だった。
そのため、ツール選定においては“必要なスペックを逆算して考える”という姿勢が徹底できた。逆に言えば、この視点がなければ、「機能はあるが業務には合わない」という失敗に陥っていた可能性は高い。IT導入で失敗しないためには、機能比較よりも“業務との相性”を最優先すべきなのだ。
まとめ:中小企業でも、ここまでできる
本記事で取り上げた事例は、「理想論」ではない。紙の納品書3000枚という極めてアナログかつ煩雑な現場に、現実的なIT活用の知恵と工夫で変革をもたらした実話である。ここでは、その経験を通じて見えてきた重要な気づきを、4つの視点で整理する。
高価なパッケージだけが正解ではない
OCRといえば、何十万〜何百万円という高額な業務パッケージが想起されることが多い。しかし実際には、Google WorkspaceやVision OCRといったクラウドサービスを活用し、少量のスクリプト開発で構築できる“実務に耐える仕組み”も存在する。
今回のケースでは、複数のベンダーが「最低300万円以上」という見積もりを提示してきた中で、数千〜数万円規模のコストで業務改善が実現できた。つまり、“予算がないからIT化は無理”という発想自体が、現実を見誤っている可能性があるのだ。
ただし「作れば解決」でもない
一方で、ツールを導入しただけで業務が改善されるほど現場は単純ではない。OCRの読み取り結果をどう使うか、誰が確認するか、どこに保存され、どのように活用されるのか──運用設計まで落とし込まれて初めて、業務に根付く仕組みとなる。
今回の取り組みも、スキャナーの選定・OCRの精度検証・スクリプトの調整・経理部門とのすり合わせといった、多くの試行錯誤の積み重ねがあったからこそ成功した。“作ったものがそのまま使える”ことは稀であり、作ってからが本番という覚悟が必要だ。
OCRは精度がすべて
OCRという言葉に馴染みのない中小企業にとっては、機能一覧や価格表が判断基準になりがちだ。しかし、本質的に見るべきは「このツールは業務で使えるのか?」という一点のみである。特に、数値情報や日付などの正確性が求められる処理においては、1文字のミスが致命的なミスにつながる可能性がある。
「文字が読めるかどうか」ではなく、「業務として成立する精度かどうか」──この視点で見たとき、Vision OCRは数少ない“実用に堪える選択肢”だった。IT導入の成否は、この判断軸を持てるかどうかに大きく左右される。
ITは思想と実務が噛み合って初めて武器になる
ITは本来、業務を楽にし、正確性を高め、ストレスを減らすための「道具」にすぎない。しかし、その導入が現場の課題や運用に寄り添っていない場合、逆に負担や混乱を増やす存在になりかねない。
筆者自身も、これまで“アドバイスする側”の立場だったが、本事例を通じて「作って、実装し、現場で使われる」までを担うことで、ようやくIT活用の本質に触れたと感じている。
中小企業のIT導入に必要なのは、高価なツールでも理想論でもない。現場に根ざした問題意識と、それに応える現実的な解決策である。
そして、その出発点はいつだって、「ちょっとやってみるか」という一歩から始まる。
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
また、お会いしましょ。



