【それ、仕事じゃなくて情報観察です】〜部下に嫌われる“指示だけ経営”の末路〜

information-observation Management

中小企業の経営者や管理職が抱える「見えにくい課題」にフォーカスする。昇進や昇格によって増えるものといえば報酬、権限、責任が思い浮かぶが、実は「情報量の増加」が最も厄介な落とし穴だ。メール、チャット、会議、報告…業務に関する情報が爆発的に増え、それに接触することで“仕事をしているつもり”になる経営者が増えている。

これは中小企業の現場で多発している勘違いの構造であり、マネジメント崩壊の兆候でもある。本稿では「情報が増えること」によって陥りがちな錯覚と、それにどう対処すべきかを解説し、中小企業経営に必要な“本当のマネジメント”の姿を提示する。

昇格や肩書きが変わると「やることが増えた」と感じる。その正体は「情報接触量」の増大にある。

情報接触=業務量ではない

メールやチャット、会議資料に触れる量が増えると、それを処理する時間も増える。1日数百件の通知やメッセージを目にすれば、「忙しくなった」と錯覚するのも無理はない。しかし、これは「実務量」ではない。あくまで「情報を眺めている時間」に過ぎない。

現場で顧客と交渉し、契約を結ぶわけでもない。プロジェクトを動かしているのでもない。情報の“観察者”になっているだけで、「当事者」ではない。このズレに気づかないままだと、口ばかりが達者な“評論家社長”になってしまう。

指示出し=仕事ではない

部下のメールをチェックし、会議で発言し、細かく指示を出すことを「自分の仕事」と思い込む。確かにマネジメントは指示出しも役割の一部だが、それが“全て”になってはいけない。指示は手段であって、目的ではない。

部下の行動を見張ることで安心を得たいという欲求が強くなると、最終的に「指示しないと動かない組織」が出来上がる。これでは本末転倒だ。マネジメントとは、部下が自走できる環境を整えることであり、「管理」ではなく「育成」でなければならない。

情報に“口を出す”ことで組織は壊れる

情報が見える化され、会話に参加できると、人はつい口を出したくなる。部下のチャットにいちいち反応し、報告の一言一句に難癖をつける。最初は「的確なアドバイス」のつもりかもしれない。しかし、これは部下の“行動の自由”を奪う行為でもある。

次第に部下は自分のやり方を控え、上司に気に入られるやり方を優先するようになる。その結果、CCから上司を外す、電話でしかやりとりしない、という“排除行動”が始まる。こうして、経営者や上司が見る情報はフィルターを通された“虚構の世界”になるのだ。

情報を得ているだけで満足してはいけない。経営者が果たすべきは「判断」と「責任」である。

判断なき情報収集は、ただの暇つぶし

経営者がすべきは「意思決定」である。情報はその材料に過ぎない。判断を下すための前提条件を把握することが重要であり、全てのやりとりを“逐一見ること”ではない

優先順位をつけ、見るべき情報を選び抜く力が求められる。情報を“全部見た”ことで満足し、判断を保留するような状態では、経営者の役割を放棄しているに等しい。

「責任」から逃げるための介入癖

部下のやりとりに細かく介入し、「もっとこうした方がいい」と言うのは、一見責任感が強そうに見える。だが、実際は自分が“直接手を出さず”に、責任を回避する構造をつくっているだけだ。

「口は出すが手は出さない」状態が続くと、部下のモチベーションは低下し、職場は停滞する。情報を渡された側が判断と責任を引き受けなければ、組織は無責任な放任状態になる。

経営者の最も重要な資産は「信頼」である

部下の言動をチェックし、行動を制限するようなマネジメントでは、信頼は得られない。やがては組織全体が経営者から情報を隠し、耳障りのよい報告だけを上げるようになる。本音が届かなくなった時、経営者の指示は現場に届かない“独り言”に変わっていく。マネジメントとは、情報を通じて「信頼関係」を築く手段であり、制御ではないのだ。

情報を持つ者が権力を握る──それが組織の現実だ。だが、それが落とし穴でもある。

情報を持つ者が支配しようとする構図

経営層に情報が集まるのは当然だが、それを“コントロールの道具”にし始めると危険だ。「自分だけが全体像を理解している」「だから部下に指示できる」と思い込んだ瞬間、視野が狭まり、現場の実態から乖離していく。情報は優位性をつくる道具ではない。全体の整合性と組織の前進に使うための“共通財産”であるべきだ。

ピントのずれた指示が現場を混乱させる

メール一通、報告一件に対して「もっと〇〇すべきだ」と口を出す。それが的確であればいいが、現場の文脈や背景を理解せずに発言すれば、部下にとっては「ズレた指摘」でしかない。こうした“ピンぼけ上司”の発言は、やがて軽視され、無視されるようになる。意思疎通が断絶した状態では、どんな正論も届かない。

コントロール欲は信頼を蝕む

「ちゃんと見ている」「ちゃんと管理している」ことで得られる安心感は、裏を返せば「信頼していない」というメッセージでもある。部下の自立を信じることができなければ、マネジメントは成立しない。すべてを自分で管理しようとするほど、信頼は目減りしていく。結果として「情報はあるが協力者はいない」という孤立した経営者が出来上がるのだ。

「情報の管理者」から「判断の責任者」へ──これが経営者に必要な変革である。

情報は「扱うもの」ではなく「活かすもの」

情報の多寡に一喜一憂するのではなく、その活用方法にこそ知恵を絞るべきだ。どの情報を、誰が、どう判断するのか。それを設計し、運用するのが経営者の役割である。大量の情報を見て、自ら動くのではなく、部下が動きやすいよう“判断の指針”を示すべきだ。

経営者のアウトプットは「納得」と「動機づけ」

組織を動かすのは、「正論」ではなく「納得感」である。部下が動きたくなるような理由を示すのが、経営者の仕事だ。知っていることを伝えるのではなく、理解させること。情報を説明するのではなく、動機づけすること。それこそが真のマネジメント力だ。

「情報量=権力」ではなく「信頼=影響力」

最後に重要なのは、経営者が持つべき真の力とは「信頼」であるということ。情報を盾に威圧するのではなく、信頼を基盤に組織を動かす。部下の自律を支え、成果を引き出す。それが経営者の役割であり、情報社会における真のマネジメントである。

中小企業の経営者にとって、「情報の多さ」は仕事の証ではない。それは判断と責任の素材であり、操るものではなく、活かすものである。情報の処理に没頭し、指示や監視に明け暮れても、組織は前には進まない。経営者は“情報の番人”になるのではなく、信頼と納得によって組織を導く存在でなければならない。


つまり、情報量とマネジメント力は比例しない。むしろ、情報が多いほど「見ない力」と「任せる力」が必要となる。そこに中小企業経営者としての“本当の力量”が問われるのである。

最後までお付き合いいただきありがとうございます。
また、お会いしましょ。